
ボウルを鳴らす前、
私は何かを整えようとはしていません。
気持ちを高めることも、
集中しようとすることも、
「よい音を出そう」と思うことさえ、ありません。
ただ、そこに身を置いて、
自分の呼吸や、場の気配を感じています。
音を鳴らす前の時間のほうが、
気づけば、ずっと長くなっています。
空気の重さ。
床の感触。
身体のどこに、まだ力が残っているのか。
それらが、
少しずつほどけていくのを、静かに待っています。
何も起こさなくていい。
何も決めなくていい。
そうしているうちに、
「もう鳴らしてもいいかな」と、
音のほうから合図が届くことが、たまにあります。
そのとき、
私はようやくボウルを手に取ります。
音は、
私が出すものではなく、
場と一緒に立ち上がってくるもの。
だから私は、
音で何かを変えようとはしません。
ただ、音をそこに置いて、
世界と自分がどう響き合うのかを、
静かに見守っています。
そして、
音が鳴る前に、
もう整っていることも、少なくありません。
――もう、これでいい。
そんなふうに、
場が語りかけてくれているように
感じることもあります。